須田健太郎 (実業家)とは? わかりやすく解説

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須田健太郎 (実業家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/01/26 01:38 UTC 版)

すだ けんたろう

須田 健太郎
生誕 (1985-01-08) 1985年1月8日(40歳)
マレーシアクアラルンプール
国籍 日本
出身校 流通科学大学中退
職業 実業家
肩書き フリープラス代表取締役社長
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須田 健太郎(すだ けんたろう、1985年1月8日 - )は、日本の起業家。株式会社フリープラスの元創業者、元代表取締役社長CEO。株式会社客家の代表取締役。

来歴

1985年マレーシアクアラルンプールで、日本人の父とマレーシア客家華僑である母との間に生まれた。幼少期をマレーシアインドネシアジャカルタで過ごし、10歳より日本に定住。

大学入学後の2005年、今後の人生について「世界レベルの偉業」を成し遂げたいと考えるようになった。そして「1000万円をためて起業」することを目標に大学を中退、ベンチャー企業に就職した。1年後、勤務先の給与体系が変更されたことを機に退職、後輩と2人でエンジニアの派遣事業としてフリープラスを立ち上げた。当初は順調だったが、リーマン・ショックにより一時は倒産手前まで落ち込んだ。その後SEO事業に転換し業績は回復した[1]

2010年より、訪日旅行(インバウンド)事業に参入。単身中国へ渡り、子会社を作る。その後、東日本大震災で訪日観光客が激減したが、「旅行市場が未成熟なアジア各国からの訪日客は伸びしろが大きく、必ず商機がある」と考え[2]、東南アジア諸国を開拓[3]、FREEPLUSの成長基盤を固める。

自身には「失うものがない」と語り[4]、利益率が低いことからアジアからのツアーを敬遠しがちな大手旅行代理店などに対して、「ある種のイノベーションのジレンマに陥っている競争相手に奇襲攻撃を仕掛ける」ことで一気に成長を加速させたと、語っている[2]

株式会社フリープラスの経営方針との相違から2020年2月に同社の代表取締役を辞任。2020年1月に設立をしている株式会社客家の代表取締役に就任。

経歴

受賞歴

  • 2013年平成25年) - アジアで勝つ日本人100人 (AERA 2013年12月30日-1月6日合併号)
  • 2013年平成25年) - 2013年度インデペンデンツクラブ大賞 最優秀賞[5](主催:株式会社インディペンデンツクラブ)
  • 2014年平成26年) - EY Entrepreneur Of The Year Japan Challenging Spirit 部門ファイナリスト[6](主催:Ernst&Young)
  • 2016年平成28年) - 次代を創る100人 (日経ビジネス 2015年12月28日-2016年1月4日合併号)[7]
  • 2016年平成28年) - ニッポン新事業創出大賞 グローバル部門 優秀賞 [8](主催:公益社団法人日本ニュービジネス協議会連合会)
  • 2018年(平成30年) - アジア太平洋地域における急成長企業1,000社に選出され、154位にランクイン。日本全体では25位, Travel & Leisure セクターで7位, 日本に限定したTravel & Leisure セクターで2位 にランクイン(主催:Financial Times社, Statista社)

出典

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