須卜単于とは? わかりやすく解説

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須卜単于

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2017/01/24 15:55 UTC 版)

須卜単于呉音:しゅほくぜんう、漢音:しゅうほくせんう、拼音:Xūbŭchányú、生没年不詳)は、中国代に王莽によって立てられた匈奴の対立単于。姓は須卜氏、名はという。攣鞮氏の単于ではなく、その姻戚関係にある貴種の須卜氏の出身なので須卜単于と呼ばれる。もとは右骨都侯であった。




  1. ^ 従来の漢による印綬には「匈奴単于璽」と刻まれていたが、新の印綬には「新匈奴単于章」と刻まれていた。前の印綬には匈奴の自立性を尊重して“漢”の文字を入れなかったが、新しい印綬には新朝に服属するという意味を込めて、わざわざ“新”の文字を入れ、さらに“璽”から“章”にランクを落とされた。
  2. ^ 王歙は王昭君の兄の子であり、伊墨居次の従兄弟にあたる。
  3. ^ この時にはすでに王莽によって処刑されており、嘘を伝えたことになる。


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