韓遂の腹心時代
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/01/03 08:38 UTC 版)
中平年間(184年〜189年)末期、同郷の韓遂に仕えて、その腹心となった。建安19年(214年)、韓遂が閻行に攻められた時、仲間が皆逃げ去る中で成公英だけが韓遂の下を離れようとしなかった。韓遂が「益州の劉備の下に逃がれてはどうか」と成公英に相談すると、成公英は羌族の下で力を蓄える事を主張した。このため韓遂も羌族の下で保護を受ける事にした。 翌20年(215年)に、韓遂らは羌族数万の軍勢をもって閻行を攻撃したが、韓遂が配下に裏切られ死亡したため、成公英は止む無く曹操に降伏した。成公英は降伏の際、韓遂への忠義の心から号泣し、曹操を感動させている。
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