青野藩とは? わかりやすく解説

青野藩

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/04/06 08:47 UTC 版)

青野藩(あおのはん)は、美濃国不破郡青野(現在の岐阜県大垣市青野町[1])を居所として、江戸時代前期にごく短期間存在した。1682年、当地の領主であった稲葉正休若年寄に就任し、加増を受けて大名に列した。しかしその2年後の1684年、正休は大老堀田正俊殺害事件を起こし、自らも殺害されたために廃藩となった。


注釈

  1. ^ 赤丸は本文内で藩領として言及する土地。青丸はそれ以外。
  2. ^ 正成の長男であったが、異母弟の稲葉正勝(生母は春日局)が嫡子とされて家督を継いだため、『寛政譜』では「正成の二男」とされる[3]
  3. ^ 正次の遺児である正能と正定の兄弟は正吉の家で養われた[3][5]。寛永12年(1635年)、前年に没した伯父・正勝の生前の要望により、稲葉正則(正勝の子、小田原藩主)の領地であった下野国真岡領内において新田合計5000石が兄弟に分知された(正能に3000石、正定に2000石)[3][5]
  4. ^ 正吉を殺害したのは家臣の安藤甚五左衛門と松永喜内という者で、「男色の事」が原因という[2]。安藤らは正吉を自殺に見せかけたが、将軍徳川家綱が調査を指示して犯行が露見し、安藤らは8月に処刑された[6]
  5. ^ 稲葉正休と堀田正俊は親族である。正俊の父である堀田正盛と稲葉正休が従兄弟(正盛の母が稲葉正成の娘)であり、正休は正俊よりも6歳年下ながら正俊の叔従父(いとこおじ)という関係にあたる。正俊の正室は稲葉正則(稲葉正成と春日局の子である稲葉正勝の子。すなわち正休の従兄)の娘で、正俊は春日局の養子になっている。
  6. ^ 『寛政譜』によれば、正休は正室(土屋数直の娘)との間に男子1人を設けているが、この男子は早世している[2]
  7. ^ 現在の坂祝町深萱[8]
  8. ^ 現在の美濃加茂市古井町下古井か[9]
  9. ^ 現在の白川町水戸野[10]
  10. ^ 現在の関市西田原[11]
  11. ^ 現在の白川町和泉[12]
  12. ^ 現在の白川町河岐の小原地区[13]
  13. ^ 現在の垂井町府中[14]
  14. ^ 現在の垂井町新井か。『角川日本地名大辞典』には稲葉氏が領主であったとは記されていない[15]
  15. ^ 現在の大垣市青墓町付近[16]
  16. ^ 現在の関ケ原町野上[17]
  17. ^ 現在の大垣市桧町の笠毛地区[18]
  18. ^ 『寛政譜』には、増周に相当する人物の記載はない。山城国石清水八幡宮の岩本坊の僧になっていたという[24]
  19. ^ 『不破郡史』には「寛文三年に正吉の知行所たる本郡青野に来り」とある[24]。ただし寛文3年(1663年)は正吉の死後で、正休の代になっている。
  20. ^ たとえば「コトバンク」所収の辞典類はさまざまな説を紹介している[31]

出典

  1. ^ a b c d 『藩と城下町の事典』, p. 310.
  2. ^ a b c d e f g h i j k l m 『寛政重修諸家譜』巻第六百十「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.206
  3. ^ a b c d e f g 『寛政重修諸家譜』巻第六百十「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』p.202
  4. ^ a b c d e f g 青野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月6日閲覧。
  5. ^ a b 『寛政重修諸家譜』巻第六百十「稲葉」、国民図書版『寛政重修諸家譜 第四輯』pp.n204-205
  6. ^ 安藤甚五左衛門”. デジタル版 日本人名大辞典+Plus. 2023年2月6日閲覧。
  7. ^ a b 青野藩(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月6日閲覧。
  8. ^ a b c 深萱村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月6日閲覧。
  9. ^ 下古井村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  10. ^ 水戸野村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  11. ^ 西田原村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  12. ^ 和泉村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  13. ^ 小原村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  14. ^ 府中村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  15. ^ 新井村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  16. ^ a b 青墓村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月6日閲覧。
  17. ^ 野上村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  18. ^ 笠毛村(近世)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  19. ^ 『不破郡史 上巻』, pp. 680–681.
  20. ^ 『不破郡史 上巻』, p. 681.
  21. ^ 青墓(古代)”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月6日閲覧。
  22. ^ a b c d 青野城跡(大垣市)”. 鬼丸のブログ (2016年1月12日). 2023年2月6日閲覧。石碑・石塔とその周辺状況の写真および碑文が掲載されている。
  23. ^ a b 『不破郡史 上巻』, p. 684.
  24. ^ a b c 『不破郡史 上巻』, p. 688.
  25. ^ 第三十二番札所 篠尾山 円興寺”. 西美濃三十三霊場. 西美濃三十三霊場. 2023年2月7日閲覧。
  26. ^ a b 『不破郡史 上巻』, pp. 688–689.
  27. ^ a b c 青野城主  稲葉石見守正休公  略歴”. Monunento. 2023年2月6日閲覧。。石碑の碑文の写真が掲載されている。
  28. ^ 国分寺跡(旧中山道を歩く 269)”. 中山道ひとり歩る記(旧中山道を歩く) (2011年9月24日). 2023年2月6日閲覧。碑の周辺状況についての写真が掲載されている。
  29. ^ 法雲山教覺寺(大垣市)”. 鬼丸のブログ (2016年1月14日). 2023年2月6日閲覧。。石碑およびその周辺状況の写真が掲載されている。
  30. ^ a b 岐阜県農地整備課 2013, 5/11.
  31. ^ 稲葉正休”. コトバンク. 2023年2月8日閲覧。
  32. ^ 稲葉正休”. ブリタニカ国際大百科事典 小項目事典(コトバンク所収). 2023年2月8日閲覧。
  33. ^ 美濃青野城”. 城郭放浪記. 2023年2月6日閲覧。石碑写真および碑文が掲載されている。
  34. ^ a b 稲葉北”. 角川日本地名大辞典. 2023年2月8日閲覧。
  35. ^ a b c 稲葉正休寄進状”. 坂祝町. 2023年2月7日閲覧。
  36. ^ 十二社神社”. 岐阜県神社検索. 岐阜県神社庁. 2023年2月7日閲覧。


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