露兵漂着地記念碑
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/16 06:58 UTC 版)
1905年(明治38年)、見島沖で日本海海戦が行なわれた際に撃沈したロシアのバルチック艦隊の乗組員55名がボートに乗って宇津海岸に漂着した。その中には重症者も10名含まれており、島民は「同じ海に生きる者として」治療と救護に尽くした。この人道的行為を誇り、賞賛する証しとして宇津海岸近くに記念碑が建てられている。
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