霊王 (楚)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 霊王 (楚)の意味・解説 

霊王 (楚)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/12 13:29 UTC 版)

霊王 熊虔
第10代王
王朝
在位期間 前541年 - 前529年
都城
姓・諱 熊虔
諡号 霊王
生年 不詳
没年 霊王12年5月26日[1]
前529年5月4日
共王
后妃 豊氏
晋女

霊王(れいおう)は、中国春秋時代の王。、のちにと改名した。共王の次男。

生涯

父共王の死後、王位は長兄の康王が継いでいた。康王の死後はその息子の郟敖が継いでおり、熊囲はその令尹となって補佐していたが、郟敖4年(紀元前541年)に郟敖を殺害して自ら王として即位した。主に勢力拡大に従事し、諸侯と会盟してを討った。

霊王8年(紀元前533年)にを、霊王10年(紀元前531年)にを討った。その後も、次いでまた呉を討つなどして楚の勢力を拡大した。しかし、連年の戦役は臣民に多大な負担を強いた。このため臣民の心は霊王のもとから離れ、公子の熊比・熊黒肱(子皙)・熊弃疾ら(3人とも霊王の弟)は反対派を結成し、霊王12年(紀元前529年)に霊王が軍を率いて都のを留守にするとクーデターを決行。留守を預かっていた霊王の太子である熊禄を殺害した。このクーデターを知って霊王の楚軍は一気に崩壊し、霊王は山中をさまよいながら死んだ。

死後、王位はクーデターで中心的な役割を果たした熊比こと訾敖が継いだが、弟の熊弃疾が再度クーデターを起こして兄たちを排除し、彼が平王として即位した。

家庭

父親:

  • 共王(熊審、第7代楚王)

兄弟:

  • 康王(熊招、第8代楚王)
  • 訾敖(熊比、第11代楚王)
  • 熊黒肱(子皙、令尹, zh
  • 平王(熊弃疾、第12代楚王)

子:

  • 太子禄(霊王太子)
  • 公子罷敵

脚注

  1. ^ 『春秋左氏伝』昭公十三年五月癸亥条による。

参考文献

先代
郟敖
前541年 - 前529年
次代
訾敖



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「霊王 (楚)」の関連用語

霊王 (楚)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



霊王 (楚)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの霊王 (楚) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS