雄鹿原村とは? わかりやすく解説

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雄鹿原村

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/02 05:52 UTC 版)

おがはらそん
雄鹿原村
廃止日 1956年9月30日
廃止理由 新設合併
雄鹿原村中野村美和村八幡村芸北町
現在の自治体 北広島町
廃止時点のデータ
日本
地方 中国地方山陽地方
都道府県 広島県
山県郡
市町村コード なし(導入前に廃止)
総人口 1,456
国勢調査、1955年)
隣接自治体 中野村、戸河内町、八幡村
島根県那賀郡金城村
雄鹿原村役場
所在地 広島県山県郡雄鹿原村
座標 北緯34度43分42秒 東経132度13分19秒 / 北緯34.72842度 東経132.22208度 / 34.72842; 132.22208座標: 北緯34度43分42秒 東経132度13分19秒 / 北緯34.72842度 東経132.22208度 / 34.72842; 132.22208
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雄鹿原村(おがはらそん)は、広島県山県郡にあった。現在の山県郡北広島町の一部にあたる。

地理

  • 河川:馬ノ原川[1]、中祖川[1][2]、大佐川[3]、橋山川[4]、松原川[4]
  • 山岳:掛頭山[1]、大佐山[3]、臥竜山[4]

歴史

  • 1889年(明治22年)4月1日、町村制の施行により、山県郡政所村、雲耕村、宮地村、中祖村、荒神原村、橋山村が合併して村制施行し、雄鹿原村が発足[5][6]。旧村名を継承した6大字を編成[5]
  • 1945年(昭和20年)代、大字政所・宮地の一部が大元となり7大字となる[5]
  • 1956年(昭和31年)9月30日、山県郡中野村、美和村、八幡村と合併し、町制施行し芸北町を新設して廃止された[5][6]

産業

  • 農業

脚注

  1. ^ a b c 「政所〈芸北町〉」『角川日本地名大辞典 34 広島県』749頁。
  2. ^ 「中祖〈芸北町〉」『角川日本地名大辞典 34 広島県』580頁。
  3. ^ a b 「雲耕〈芸北町〉」『角川日本地名大辞典 34 広島県』142頁。
  4. ^ a b c 「橋山〈芸北町〉」『角川日本地名大辞典 34 広島県』642頁。
  5. ^ a b c d 『角川日本地名大辞典 34 広島県』197頁。
  6. ^ a b 『市町村名変遷辞典』151頁。

参考文献

関連項目




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