隠公 (邾)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/27 10:10 UTC 版)
隠公 | |
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邾 | |
公(周制における爵位は子) | |
王朝 | 邾 |
在位期間 | 前506年 - 前487年 前473年 - 前471年 |
都城 | 邾 |
姓・諱 | 曹益 |
諡号 | 隠公 |
隠公(いんこう、生没年不詳)は、春秋時代の邾の君主。姓は曹、諱は益。
生涯
紀元前507年、邾の荘公が死去する[1]と、翌年に隠公は即位した。晋の定公を盟主として、召陵に会盟した[2]。紀元前495年、魯に亡命した[3]。紀元前487年、隠公は魯から帰国したところを、呉王夫差の派遣した大宰子余の軍に討たれ、楼台に幽閉された。大子革(桓公)が政務を執った[4]。紀元前485年、隠公は魯に亡命し、さらに斉に亡命した[5]。紀元前473年、越に亡命し、越の支援により邾に帰国した。大子革は越に亡命した[6]。紀元前471年、隠公は無道であったため、越に逮捕されて連行された。公子何が擁立された[7]。
脚注
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