随應院とは? わかりやすく解説

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随応院

読み方:ズイオウイン(zuiouin)

宗派 浄土宗

所在 愛知県豊田市

本尊 阿弥陀如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

随應院

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/12/06 10:17 UTC 版)

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随應院
所在地 愛知県豊田市寺部町4-31
位置 北緯35度5分37.2秒 東経137度10分16.94秒 / 北緯35.093667度 東経137.1713722度 / 35.093667; 137.1713722座標: 北緯35度5分37.2秒 東経137度10分16.94秒 / 北緯35.093667度 東経137.1713722度 / 35.093667; 137.1713722
山号 極楽山
宗派 浄土宗
本尊 阿弥陀如来
創建年 1479年
開基 松平親忠
中興年 1652年
中興 渡辺治綱
正式名 極楽山不遠寺随應院
法人番号 9180305006138
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随應院(ずいおういん)は、愛知県豊田市にある浄土宗の寺院。山号は極楽山。の名所として知られている[1]

由緒

1479年松平親忠が加茂郡力石(豊田市力石町)に極楽山不遠寺浄土院と号す寺を創建したことに始まる[2][3]1488年寺部城初代城主鈴木重時が勧学院文護寺跡と伝わる現在地に移転し、香華寺を建立した[2][3]1652年渡辺治綱が母である随應院殿の三十三回忌法要を行った際、境内を整備し寺号を極楽山不遠寺随應院と改めた[3]。本堂西側には、随應院殿を始めとする渡辺家奥方や三河鈴木氏の墓がある[3]。本堂には、松平親忠が寄進した本尊阿弥陀如来像が祀られている[3]

文化財

豊田市指定史跡
  • 随應院渡辺家墓所[4]

ギャラリー

所在地

  • 愛知県豊田市寺部町4-31

脚注

  1. ^ ツーリズムとよた 随應院
  2. ^ a b 浄土宗大辞典 随應院
  3. ^ a b c d e 随應院のパンフレットより
  4. ^ 豊田市の文化財(指定・登録・選定)”. 豊田市 (2019年9月6日). 2019年9月21日閲覧。

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