陳基培
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陳 基培(チン・ギベ、朝鮮語: 진기배、1921年8月1日 - 2003年3月20日)は、大韓民国の政治家。第6代韓国国会議員[1]。
経歴
日本統治時代の江原道蔚珍郡(現・慶尚北道蔚珍郡)出身。国民大学政経学科卒。1944年、仏教専門講習課程履修。1946年の青年朝鮮総同盟宣伝部長、1947年の仏教青年中央教議会議員を経て、国民会中央委員、仏教青年団団長、秋風会企画委員、民政党慶北道支部副委員長、民衆党慶北第13地区党委員長を務めた。5・16軍事クーデター以後の1963年の第6代総選挙で蔚珍郡・英陽郡選挙区から民政党の候補として出馬し、3期国会議員を務めた民主共和党系の金光俊を破って当選した。国会議員在職中は「農業協同組合法中改正法律案」「蚕業振興組合法案」などを提出した。1967年の第7代総選挙にも出馬したが、与党候補の呉俊碩に敗れて落選した[1][3][4]。
2003年3月20日に死去。享年82[4]。
脚注
- ^ a b c “대한민국헌정회”. www.rokps.or.kr. 2025年5月12日閲覧。
- ^ “정복규의 한국 성씨를 찾아서 82- 여양진씨(驪陽陳氏)”. 신아일보 (2013年3月12日). 2025年5月12日閲覧。
- ^ “근현대인물자료 < 한국 근대 사료 DB”. db.history.go.kr. 2025年5月12日閲覧。
- ^ a b “진기배 (전)국회의원 별세”. 울진21 (2003年3月21日). 2025年5月13日閲覧。
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