闘茶(茶道)の創始者の一人
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/06/15 04:00 UTC 版)
「光厳天皇」の記事における「闘茶(茶道)の創始者の一人」の解説
中世には闘茶(茶道の前身)といって、茶の香りや味から産地を当てる遊びが流行したが、光厳天皇はそれを最も早く始めた人物の一人としても知られる。光厳天皇が元弘2年/正慶元年6月5日(1332年6月28日)に開いた茶寄合(『光厳天皇宸記』同日条)が、闘茶であると確実に明言できる茶会の史料上の初見とされる(確実ではないものまで辿ると、この8年前に後醍醐天皇も無礼講で同様の茶会を催している)。
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