門訴事件
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/03/19 00:48 UTC 版)
1693年(元禄6年)、当地で検地が行われたが、この際に石高が229石→329石と一気に100石も増やされてしまった。これでは負担が重すぎると、農民から4度に分けて20人が門訴のために江戸の佐橋邸へ向かったが、1人を除いて皆殺しとなってしまった。結果、年貢は下がり、名主は追放されたが、佐橋本人はお咎めを受けるどころか後に増石まで受けている。 19人の犠牲を後世へと伝えるため、1746年(延享3年)と1789年(寛政元年)に義民石地蔵が作られ、毎年7月24日の地蔵盆には追善法要が行われている。なお、事件の余波で、訴状を代筆した蓮花寺と佐橋氏の関係は悪化し、寺運も傾いたという。
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