長谷部優 (野球)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 長谷部優 (野球)の意味・解説 

長谷部優 (野球)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/22 00:45 UTC 版)

長谷部 優
基本情報
国籍 日本
出身地 大阪府岸和田市
生年月日 1950年
身長
体重
180 cm
74 kg
選手情報
投球・打席 左投左打
ポジション 投手
経歴(括弧内はプロチーム在籍年度)

長谷部 優(はせべ ゆう、1950年[1] - )は、元アマチュア野球選手である。ポジションは投手

来歴・人物

大阪府立岸和田高等学校ではエースとして活躍。1967年秋季近畿大会府予選準決勝に進むが、興国高丸山朗益川満育の継投の前に4-5で惜敗。翌1968年夏の甲子園府予選は決勝に進出するが、またも興国高に敗退[1]、甲子園出場を逸する。同年のドラフト会議阪急ブレーブスから3位指名されたが、「野球は高校で十分。」という理由で入団を拒否[2][1]

慶應義塾大学に進学し野球部に入部。東京六大学野球リーグでは、2年時の1970年春季リーグ慶東2回戦で、工藤真東京ガス)との継投によるノーヒットノーランを達成している[3]。3年時の1971年秋季リーグから3季連続優勝。同期の萩野友康との左腕二本柱で活躍する。同71年秋の第2回明治神宮大会では、2回戦(準々決勝)で山本和行投手の亜大に完封され敗退。1972年全日本大学選手権では、準決勝で4年藤田康夫と1年田村政雄両投手の中大を完封で下したものの、決勝で関大の4年山口高志に完封され準優勝。同年秋の第3回明治神宮大会でも、初戦2回戦(準々決勝)で優勝した関大の山口高志にノーヒットノーランを喫した。リーグ通算41試合登板、14勝10敗、防御率2.42、143奪三振。

大学卒業後、松下電器産業(現・パナソニック)に入社。山口高志、福間納の陰に隠れていたが、1977年社会人野球日本選手権では準決勝に先発。電電四国に0-2で敗退したが好投を見せる[4]。福間がプロ入りした1979年にはエースとなり、社会人野球日本選手権では準決勝で電電九州を完封。決勝ではリリーフに回るが住友金属に0-2で惜敗、準優勝にとどまる[5]。同大会の優秀選手賞を獲得し、第4回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出される。同年の社会人ベストナインにも選出された[1]1980年社会人野球日本選手権でも準決勝に進むが、日本楽器に敗れる[6]。同年の第26回アマチュア野球世界選手権1981年の第5回インターコンチネンタルカップ日本代表に選出された。

脚注

  1. ^ a b c d 甲子園まであと1勝 準優勝校の悔しさ・達成感 大阪:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル. 2020年6月22日閲覧。
  2. ^ 過去のドラフト 第4回(1968年) - ドラフト会議 : 日刊スポーツ”. nikkansports.com. 2020年6月22日閲覧。
  3. ^ 一般財団法人 東京六大学野球連盟”. www.big6.gr.jp. 2020年6月22日閲覧。
  4. ^ 「日本社会人野球協会会報1977」日本社会人野球協会 1978年
  5. ^ 「日本社会人野球協会会報1979」日本社会人野球協会 1980年
  6. ^ 「日本社会人野球協会会報1980」日本社会人野球協会 1981年

関連項目




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  長谷部優 (野球)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「長谷部優 (野球)」の関連用語

長谷部優 (野球)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



長谷部優 (野球)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの長谷部優 (野球) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS