長沼のその後
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/09/07 01:35 UTC 版)
大正7年3月29日、福澤諭吉の偉業をたたえ、「長沼下戻記念碑」が印旛郡豊住村長沼(現・千葉県成田市長沼)に建立された。その後、長沼は昭和9年、ひょうたん型の下の部分(前沼)が干拓事業により干拓され、後の昭和17年、沼の上の部分(後沼)が国の食料増産事業により干拓が行われ、排水路工事には満蒙開拓青少年義勇軍1000人と地元民1000人が招集され、昭和28年完工した。現在は広大な水田地帯が広がっている。平成10年10月「長沼下戻百周年記念碑」が建立され、事件を今に伝えている。
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