生野鉱山寮馬車道
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生野鉱山寮馬車道(いくの こうざんりょう ばしゃみち)は、明治時代前半に兵庫県にあった官設の馬車道。別称は生野鉱山道、近年は銀の馬車道とも言い、経済産業省の近代化産業遺産、文化庁の日本遺産[1]に認定されている。
出典
- ^ 一番下に粗い砕石を敷き、その上に細かい石、さらに砂を並べて固めたもの。
- ^ 「銀の馬車道」日本遺産認定 近代化たどる旅物語 - ウェイバックマシン(2017年4月29日アーカイブ分)神戸新聞NEXT.2020年8月4日閲覧。
- ^ “但馬道(生野道・馬車道) (PDF)”. 姫路市. 2022年11月23日閲覧。
- ^ “生野鉱山と播磨 貫いた「銀の馬車道」”. 日本経済新聞社 (2019年6月27日). 2022年11月23日閲覧。
- 1 生野鉱山寮馬車道とは
- 2 生野鉱山寮馬車道の概要
固有名詞の分類
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