鈴木 惠子とは? わかりやすく解説

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鈴木恵子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/11/13 13:05 UTC 版)

鈴木 恵子(すずき けいこ、1967年 - )は日本人の鳳仙功舞踊研究所講師[1]。本名は岡本 恵子。(旧姓)鈴木 恵子。

概要

鳳仙功舞踊、中国舞踊を、大鳳真陽と閻仲珩に学ぶ。

中国古典身法を、張桂琴に学ぶ。

舞踊団員として、国内外の数々の公演に出演すると共に、自身の振付作品も創作。ハルダンゲルヴァイオリニストの山瀬理桜、二期会ソプラノ歌手の山田綾子、中国伝統楽器二胡奏者の賈鵬芳ら、様々な音楽家と共演。

鳳仙功舞踊は、中国国立中央歌舞団主演舞踊家の大鳳真陽が創案した、気の感覚で舞う優雅な舞。同じく主演舞踊家の閻仲珩とともに研究所を設立[2]

来歴

1967年生まれ。小中学生時代の6年間、モダンバレエを野口節子に師事。

大学生時代より、鳳仙功舞踊と中国舞踊を、大鳳真陽と閻仲珩に師事。

1996年、お茶の水女子大学舞踊教育学修士課程卒業。

1997年、中国北京創作舞踊コンクール、優秀演員二等賞受賞。

2001年、アメリカ(サンフランシスコとロサンゼルス)の鳳仙功舞踊公演に出演。

2002年、JALステージスペシャル法隆寺音舞台にて、雅楽師の東儀秀樹氏らと共演。

2003年、世界舞踊祭、新人賞受賞。

2016年、世界舞踊祭、技能賞、受賞。

2020年、IUCDCインターナショナル・ユナイテッド・クラウド・ダンス・コンペティション、中国舞踊シニア(B)金賞、受賞[3]

2022年、東京なかの国際ダンスコンペティション映像なかのコンペ創作部門、審査員特別賞、受賞。

武蔵丘短期大学自由の森学園高等学校非常勤講師。舞踊作家協会、新宿芸術家協会、ユネスコ・ダンス・カウンシル東京、舞踊学会会員。

作品

  • 『青龍』
  • 『朱雀』
  • 『白虎』
  • 『玄武』
  • 『星宿〜神々の宿り』
  • 『冬牡丹』
  • 『あまてらす〜リール・アラウンド・ザ・サン』
  • 『茉莉花』
  • 『輝煌〜姑娘の夢』

脚注

  1. ^ カンパニー・ドゥ ダンスフェスティバル2018 開催”. 2024年7月12日閲覧。
  2. ^ 民族舞踊&ライブ - さいたまスーパーアリーナ”. 2024年7月12日閲覧。
  3. ^ IUCDC2020”. 青林堂. 2024年7月17日閲覧。

鈴木惠子

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/03/09 17:54 UTC 版)

すずき けいこ
鈴木 惠子
生年月日 1952年
没年月日 2023年10月17日
出身地 豊橋市
国籍 日本
職業 「とよはしフィルムコミッション」専務理事
活動内容 ロケ地誘致活動、まちおこし企画

鈴木 惠子(すずき けいこ、1952年 - 2023年10月17日[1])は、元「とよはしフィルムコミッション」専務理事。豊橋カレーうどん考案者としても知られる。

旅行会社勤務後、1997年から豊橋観光コンベンション協会で豊橋の魅力発信に携わり[1]、「ご当地グルメ」を考案。市内うどん店が自家製麺100%であることから「うどん」を、その中でも麺類組合の半数以上が賛同したカレーうどんにスポットを当てることに。ご飯を入れ、さらにとろろをのせ、その上にカレーうどんをのせて味の変化をつける形を提案した[2][3]豊橋祇園祭手筒花火のアピールについても功績を残した[4]

また、愛知県東三河広域観光協議会「ほの国東三河ロケ応援団」の団長も務め[5]、豊橋市におけるロケ地誘致に尽力した。豊橋市シティプロモーションアドバイザーとして活躍後[6]、豊橋市でのロケ地誘致事業を引き継いだ「とよはしフィルムコミッション」の専務理事としてけん引し[7]、300本以上のロケ地誘致数の実績で地域活性化に寄与した[4][8]

豊橋駅にほど近い「広小路通り」は『TOKYO MER』『VIVANT』『陸王』に使われたことから「日曜劇場通り」とも呼ばれている[9]日曜劇場陸王』のロケを誘致した際には、地元の協力を取り付けて国道1号線を封鎖し、沿線に約5000人のエキストラを揃え本物のマラソン大会のようなシーンの撮影を実現した[10][11]。当日は現場近辺のコンビニの商品が品薄になったという[12]。このロケにより、のべ20000人のエキストラ動員と100億円の経済効果をもたらした[13]

とよはしフィルムコミッションが掲げる3か条

  1. 不可能を可能にする
  2. NOと言わない 
  3. かゆい所に手が届く

を体現した出来事であり「頼まれてNOと言ったことはない」とインタビューで語った[12]

2023年10月17日、がんにより71歳で死去[14][15]。葬儀には『VIVANT』『陸王』などの作品で豊橋をロケ地として使用した福澤克雄や『異動辞令は音楽隊!』で豊橋をロケ地として使用した内田英治も参列した[8][16]。翌年には豊橋祇園祭花火大会にて追悼の花火が有志の協力によって打ち上げられた[17]

メディア出演

出典

  1. ^ a b 東三河に映画・ドラマロケ誘致、鈴木恵子さん死去:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年11月14日閲覧。
  2. ^ 『ロケーションジャパン 43号』地域活性プランニング、2011年2月15日、57頁。 
  3. ^ 「職人と考案 定番の味に」『中日新聞』2023年8月21日。
  4. ^ a b 豊橋PRに尽力、鈴木恵子さんの追悼花火 映画・ドラマのロケ誘致:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2024年6月23日). 2024年11月14日閲覧。
  5. ^ 「豊橋カレーうどん」の開発からフィルムコミッションまで幅広く活躍 豊橋観光コンベンション協会 鈴木惠子さん | 東三河のキラリ人 | アーカイブ”. 東三河県庁のポータルサイト|穂っとネット東三河. 2024年11月13日閲覧。
  6. ^ 映画のまち・ロケのまち 豊橋” (PDF). 豊橋市. 2024年11月15日閲覧。
  7. ^ 豊橋市地域振興施設に係る指定管理者候補者の選定について” (PDF). 豊橋市. 2024年11月14日閲覧。
  8. ^ a b わが街・豊橋がロケ地に選ばれる理由:朝のスタッフ会議:フライパン倶楽部”. www.furaipan.com. 2024年11月13日閲覧。
  9. ^ 「VIVANT」撮影した地方の町 市民興奮…放送翌日「きのうのたぬきここですか?」 “日曜劇場通り”も | TBS NEWS DIG (2ページ)”. TBS NEWS DIG (2023年9月3日). 2024年11月14日閲覧。
  10. ^ 松坂桃李さんがのぞいた穴も…「VIVANT」のロケ地、なぜ豊橋?:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年9月1日). 2024年11月13日閲覧。
  11. ^ 「<発掘‼ みか話~るど> (24)市民エキストラ、沿道彩る」『中日新聞』2021年8月1日。
  12. ^ a b 「ロケを呼ぶのは地元愛」『日本経済新聞』2023年9月5日。
  13. ^ a b TBS. “JNNドキュメンタリー ザ・フォーカス”. TBSテレビ. 2024年11月14日閲覧。
  14. ^ 「VIVANT」を豊橋に呼んだスゴ腕 がんと闘い、徹した裏方:朝日新聞デジタル”. 朝日新聞デジタル (2023年12月31日). 2024年11月14日閲覧。
  15. ^ 『中日新聞』2023年10月20日、15頁。 
  16. ^ 「豊橋だから撮れる」を支える フィルムコミッション・鈴木恵子さんお別れ会:中日新聞Web”. 中日新聞Web. 2024年11月13日閲覧。
  17. ^ 鈴木惠子さん追悼 | 東日新聞”. www.tonichi.net. 2024年11月13日閲覧。



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