金森乾次とは? わかりやすく解説

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金森乾次

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/02/17 04:14 UTC 版)

金森 乾次(かなもり けんじ、1900年7月31日 - 1954年12月8日)は、日本実業家近畿日本鉄道の会長を務めた。

父は大阪電気軌道4代目社長(参宮急行電鉄社長兼任)で実質的な創業者の一人である金森又一郎、長男は近畿日本鉄道11代社長の金森茂一郎、次男は大阪大学13代総長の金森順次郎

来歴・人物

大阪府大阪市出身[1]1921年東京帝国大学を卒業した後に日本染料製造で技師として務め、1935年大阪電気軌道に入社[2][1]1937年に取締役に就任し、常務、専務を経て、1944年に副社長に就任したが、公職追放を受け、辞任[3]

公職追放解除を受け、1951年5月に会長として復帰[2]帝塚山学園理事も務めた[4]

脚注

  1. ^ a b 興信データ株式會社 1951, か48頁.
  2. ^ a b 「近畿日本鉄道 100年のあゆみ」p235
  3. ^ 「近畿日本鉄道 100年のあゆみ」p236
  4. ^ 我が校の歴史

参考文献

  • 興信データ株式會社『人事興信録 第16版 上』興信データ、1951年。 



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