野稲城とは? わかりやすく解説

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野稲城

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/03/14 01:22 UTC 版)

野稲城
広島県
別名 下和智野稲城
築城主 江田実綱?
築城年 鎌倉時代?
主な城主 和智氏
廃城年 不明
遺構 土塁
指定文化財 未指定[1]
位置 北緯34度46分59.3秒 東経132度55分34.4秒 / 北緯34.783139度 東経132.926222度 / 34.783139; 132.926222
地図
野稲城
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野稲城(のいねじょう)は、広島県三次市向江田町下山手[2]にあった日本の城。天良山の南側の丘に位置する[3]

概要

土居(土塁)跡も発見されており、13世紀-14世紀藤原氏の系統に連なる地頭・広沢実村(地名の和智氏を名乗る[4])の一男江田(えた)実綱氏の居城(居館)かもしれない。しかし、江田氏の居館跡については不明である。

1302年後深草院二条久我雅忠の娘)が厳島神社詣での帰路に立ち寄った和智一族江田氏の居館で、「世を厭ふならいながらも高簀垣 憂き節々は 冬ぞ悲しき」と詠んだと日記『とはずがたり』5巻に書かれている。

江田氏の居館は、天良山[5]、江田川之内町・向江田町付近[6]、向江田町[7]または地名の脱落があり海岸に近い所の地名かも知れない[8]と校注されている。和智邸の女房達から「あなたざまも御覧ぜよ。絵のうつくしき」と江田邸に行くことを薦められている[9]ことから風光明媚な場所であったと思われる。

脚注

  1. ^ 「文化財」三次市公式HP
  2. ^ 備後国三谿郡向江田村、のち和田村向江田
  3. ^ 広島県教育委員会編『中国縦貫自動車道建設に伴う埋蔵文化財発掘調査報告(1)』pp.227 1978年(昭和53年)3月
  4. ^ 三次市和知町
  5. ^ 冨倉徳次郎、『とはずがたり』、現代語訳、筑摩叢書、筑摩書房、1966年
  6. ^ 次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)
  7. ^ 福田秀一校注、『とはずがたり』、新潮日本古典集成、新潮社、昭和57年(1982年)
  8. ^ 次田香澄全訳注、『とはずがたり』上、下、講談社学術文庫、講談社、1992年5刷
  9. ^ 次田香澄校注、『とはずがたり』、校注古典叢書、明治書院、昭和53年(1978年)



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