遠津年魚眼眼妙媛とは? わかりやすく解説

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遠津年魚眼眼妙媛

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/02/12 14:14 UTC 版)

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遠津年魚眼眼妙媛
時代 古墳時代
生誕 不明
死没 不明
別名 遠津年魚目目微比売命
父母 父:荒河戸畔
兄弟 久志多麻命、薩佐奈胡命
豊城入彦命豊鍬入姫命
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遠津年魚眼眼妙媛(とおつあゆめまぐわしひめ、生没年不詳)は、古代日本人物

系譜

父は紀国造の一族である荒河戸畔で、崇神天皇の后となり豊城入彦命豊鍬入姫命を生んだとされる。

考証

日本書紀』などでは崇神天皇妃となって、所生の皇子豊城入彦命が異母兄弟の生目尊と皇位継承の比較を行う記事が伝えられる。しかし、紀国造一族が天皇の后妃に入る慣習はなく、加えて、異母兄弟とされる活目尊の母は皇后の御間城姫であるから、本来は皇位継承資格を比較されるはずがないと指摘される[1]。この説では、上毛野国造下毛野国造一族に御諸別命の名や三輪神の祭祀が見られること、毛野一族の氏姓が三輪君一族の氏姓と類似することなどから、毛野一族を三輪君の同族としている。また、崇神天皇妃としての遠津年魚眼眼妙媛を否定しつつ、三輪君と紀国造家が通婚していること、那波郡式内社火雷神社上野国下野国に多数分布する雷電神社など、毛野地域には紀国造の遠祖神である雷神の祭祀が多数見られることなどから、御諸別命の母系に荒河戸畔の娘があったと指摘されている[2]

脚注

  1. ^ 宝賀寿男「二 毛野一族の初期段階ー毛野氏の発生に関する論点」『古代氏族の研究⑰ 毛野氏 東国の雄族諸武家の源流』青垣出版、2021年、31-33頁。
  2. ^ 宝賀寿男「二 毛野一族の初期段階ー毛野氏の発生に関する論点」『古代氏族の研究⑰ 毛野氏 東国の雄族諸武家の源流』青垣出版、2021年、55-77頁。

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