遍照院 (葛飾区)とは? わかりやすく解説

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遍照院 (葛飾区)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/09/21 06:08 UTC 版)

遍照院
所在地 東京都葛飾区水元5-5-33
位置 北緯35度47分25.6秒 東経139度51分33.6秒 / 北緯35.790444度 東経139.859333度 / 35.790444; 139.859333 (遍照院 (葛飾区))座標: 北緯35度47分25.6秒 東経139度51分33.6秒 / 北緯35.790444度 東経139.859333度 / 35.790444; 139.859333 (遍照院 (葛飾区))
山号 仏生山
院号 遍照院
宗旨 新義真言宗[1]
宗派 真言宗豊山派
本尊 不動明王[1]
創建年 和銅3年(710年
中興年 元亀2年(1572年
中興 教吽
札所等 武蔵国三十三ヶ所霊場15番札所
新四国四箇領八十八ヵ所霊場35番札所
文化財 遍照院異形板碑
法人番号 7011805000532
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遍照院(へんじょういん)は、東京都葛飾区にある真言宗豊山派寺院。新四国四箇領八十八箇所霊場第35番札所[2]

概要

710年和銅3年)に開山した[1]。葛飾区内で最も古い寺で、七堂伽藍を有する大寺院であったという[3]

その後、1538年天文7年)の国府台合戦の戦火により廃寺化したが、1572年元亀2年)になり教吽によって中興され、「金光山遍照院最勝寺」に改称した[3]

1733年享保18年)、旧名に従い「仏生山遍照院和銅寺」と改称した[3]

文化財

遍照院異形板碑
葛飾区指定有形文化財[4]

交通アクセス

脚注

  1. ^ a b c 新編武蔵風土記稿 猿ヶ又村.
  2. ^ 新四国四箇領八十八箇所霊場札所一覧”. 三郷市. 2021年12月23日閲覧。
  3. ^ a b c 入本英太郎、橋本直子 著『葛飾区史跡散歩 (東京史跡ガイド22)』学生社、1993年、100-101p
  4. ^ 葛飾区.

参考文献




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