速水氏 (地下家)とは? わかりやすく解説

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速水氏 (地下家)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/20 05:45 UTC 版)

速水氏
本姓 藤原朝臣良門流磯部氏→藤原朝臣
家祖 藤原盛重
種別 公家地下家
出身地 山城国
主な根拠地 山城国
著名な人物 速水景益
支流、分家 河端氏
凡例 / Category:日本の氏族

速水氏(はやみし)は、藤原朝臣良門流磯部氏の血を引く地下家[1]

概要

地下家伝』では藤原盛重が始祖とされ、「良門利基従三位中納言兼輔五代後胤斎院次官従五位下盛仲男」とある。ただし、盛重自身は周防国人の某あるいは伊與内供奉祐寛の子[2]であり、後に藤原国仲の養子となっている。また、国仲は元来桓武平氏高棟流の一族(播磨守・平生昌の次男・平以康の子)であったが、藤原資国の養子となり藤原氏に改めたとされる[3]

藤原良門から藤原盛重までの系図は藤原良門─藤原利基藤原兼輔─藤原守正─藤原善理─藤原資国…藤原国仲(平以康の子)…藤原盛重となっている。盛景以降は「近藤」とも称した[1]

盛重の嫡子は次男の藤原(近藤)盛通であったが、家督を継承したのは庶長子の肥後十郎・近藤盛景であった。盛景の次は盛通が家督を継ぎ、次に盛重の三男の出雲守・近藤成景が跡を継いで後白河院に仕えた。成景は後白河の勅宣によって後白河の寵愛を受けていた随身・磯部公春の子を養子として迎え、近藤信盛を名乗らせた。信盛も後白河の寵愛を受けたものの、後に鎮西に下向した。信盛からは信久─信茂─信友─信貞と続いた。信貞は本姓を藤原氏から磯部氏へと改めた。信貞からは─信音─信高─信泰─信景-景益と続き、景益は名字を速水へと改めた。景益からは信益─宗益─正益─武益─友益…光益(武益の子)─将益─安益─秀益─福益…類益(岡本清豊の子)─豊益─希益…邦益(豊益の子)─裕益と続いた。また、光益の子からは栄益─成益…貞益(将益の子)─宣益─昌益…益範(林庸忠の子)…亮益(林泰廉の子)…多益(本庄元之の子)…賢益(亮益の子)─長益─基益と続く庶流もあった[1]

脚注

注釈

出典

  1. ^ a b c 三上景文『地下家伝』.
  2. ^ 続群書類従』系図部
  3. ^ 佐脇貫一「佐伯地方の姓氏. 11 : 「藤」の字のつく苗字 その3」『佐伯史談』第134巻、佐伯史談会、1983年10月、11-18頁、CRID 1050282812631571968 

参考文献




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