迫田利済
迫田 利済(さこた としなり、天明6年(1786年) - 安政2年9月21日(1855年10月31日))は、幕末の薩摩国の郡奉行。通称は太次右衛門(たじえもん)。若き日の西郷隆盛を郡方書役助(こおりかた かきやくたすけ)として雇った。西郷の聞き入れにより藩に年貢を下げるよう申し出たが、聞き入れられなかった。
辞職する時に薩摩藩の農政を批判し、「虫よ虫よ五ふし草の根を絶つな 絶たば己も共に枯れなん 」と歌を残したとされる。
墓所は鹿児島県鹿児島市南林寺町の曹洞宗松原山南林寺(現在は臨済宗相国寺派南洲寺)、戒名は風松堂淸山涼心居士。
参考文献
- 「三百藩家臣人名事典・6」新人物往来社、1987年(昭和62年)
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