赤田次郎とは? わかりやすく解説

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赤田次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/07 03:51 UTC 版)

 
赤田 次郎
時代 平安時代後期
生誕 不詳
死没 不詳
主君 藤原泰衡
氏族 奥州藤原氏
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赤田 次郎(あかだ の じろう)は、平安時代後期の武士奥州藤原氏家人

略歴

奥州藤原氏の一族で、越後国刈羽郡赤田保を名字の地とするとされるが異説もある[1]文治5年(1189年)、奥州合戦において、金十郎・勾当八と刈田郡根無藤(現・蔵王町円田)砦の大将として布陣する。8月10日阿津賀志山の戦いに勝利した頼朝方の三沢安藤四郎・飯富宗長が根無藤へ攻めかかるとよく防戦したが、金十郎が戦死すると遂に総崩れとなった。赤田次郎は勾当八ら30人と捕虜になった[2][3]。翌月、泰衡が家人の河田次郎に討たれて首級が頼朝の元に送られると、頼朝は和田義盛畠山重忠首実検を行うように命じた。その際、捕虜だった赤田次郎が召し出され、首級は泰衡のものに相違ない旨を証言している[4][5]。その後は近江国犬上郡曾我に領地を与えられ、子孫定住したという[1]

脚注

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出典

  1. ^ a b 太田 1963, p. 25.
  2. ^ 大塚 & 竹内 1987, § 根無藤.
  3. ^ 『吾妻鏡』 2008, pp. 289–290.
  4. ^ 森 1990, § 陣ヶ岡.
  5. ^ 『吾妻鏡』 2008, p. 295.

参考文献




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