赤井照光 五輪塔
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/07/19 02:25 UTC 版)
「光恩寺 (群馬県千代田町)」の記事における「赤井照光 五輪塔」の解説
上記赤岩堂山古墳の前方部上に安置される五輪塔。15世紀半ば、上野赤井氏の赤井山城守照光は大袋城を経て館林城を本拠とし、当地赤岩を含む、かつて「佐貫庄」と呼ばれた館林周辺地域の土豪を組織化し、周辺は「館林領」と呼ばれるようになった。照光は天文14年(1545年)館林城で亡くなったが、「赤岩山は先祖の菩提寺なれば、我が骨は堂山に葬るべし」と言い遺し、堂山古墳上に葬られたのがこの五輪塔だと伝わる。
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