賢応とは? わかりやすく解説

賢応

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/06/08 10:12 UTC 版)

賢応(けんおう、生年不詳 - 貞観10年(868年)3月)は、平安時代前期の法相宗元興寺の僧。大和国の出身で、俗姓は不明。

法相宗の学僧で明詮に師事し、特に因明の学に優れていた。隆光(薬師寺)・三修(東大寺)とともに中古法相宗の翹才と言われた。

貞観5年(863年興福寺維摩会の講師を務める。同年、興福寺の長講筵において三修と因明比量前宗後因の義について対論し、決着がつかぬまま三昼夜が過ぎたが、隆光の判により賢応の意見が正しいと認められた。

その後、貞観6年(864年)1月に大極殿御斎会の講師を務めた。貞観10年(868年)に短命にして寂したと伝えられる。

参考文献





固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「賢応」の関連用語

賢応のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



賢応のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの賢応 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS