貞松院 (小出吉英正室)とは? わかりやすく解説

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貞松院 (小出吉英正室)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/04/21 16:00 UTC 版)

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貞松院(ていしょういん、天正19年(1591年) - 寛文4年6月19日1664年8月10日))は、出石藩主・小出吉英の正室。保科正直の娘。母は多劫姫。名はヨウ

母方の伯父である徳川家康の養女となり、小出吉英に嫁いだ。吉英との間に五男五女を儲けた。

寛文4年(1664年)、74歳で死去し、天徳寺に葬られた。

子女

参考文献

  • 『徳川・松平一族の事典』工藤寛正
  • 『新訂寛政重修諸家譜
  • 『徳川諸家系譜 第二』



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