観音寺 (戸田市)とは? わかりやすく解説

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観音寺 (戸田市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/28 08:54 UTC 版)

観音寺
本堂
所在地 埼玉県戸田市新曽1791
位置 北緯35度48分47.4秒 東経139度39分50.6秒 / 北緯35.813167度 東経139.664056度 / 35.813167; 139.664056座標: 北緯35度48分47.4秒 東経139度39分50.6秒 / 北緯35.813167度 東経139.664056度 / 35.813167; 139.664056
山号 龍宝山
院号 愛染院
宗派 真言宗智山派
本尊 如意輪観音
創建年 永徳3年(1383年
開基 桃井播磨守
札所等 足立坂東三十三観音 第18番
北足立八十八ヵ所 第70番
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観音寺(かんのんじ)は、埼玉県戸田市にある真言宗智山派寺院

歴史

1383年永徳3年)、桃井播磨守(桃井直常か?)の開基である。桃井播磨守は戸田城の城主であり、娘の病気の平癒を観音菩薩に祈っていた。その甲斐あって、娘は無事に治癒することができた。桃井播磨守は、これに感謝し、観音菩薩を本尊とする寺を創建することになった[1]

なお『新編武蔵風土記稿』によれば、1598年慶長3年)寂の亮誉が開山で、1640年寛永17年)没の庄和泉守秀永が中興開基としている[1][2]

かつては、金剛院・多福院・薬王院・常楽院・福寿院・地蔵院・正蔵院・長泉寺の8か寺を末寺として擁していたが、現在は金剛院と多福院しか残っていない[1]

1955年昭和30年)頃まで大般若経の転読が行われていたが、現在は廃れている[1]

文化財

  • 建長の板碑1基(戸田市指定文化財 昭和44年4月10日指定)[3]
  • 文禄の石灯籠2基(戸田市指定文化財 昭和44年4月10日指定)[4]
  • 観音寺千体仏(戸田市指定文化財 昭和49年3月30日指定)[5]
  • 文正の板碑1基(戸田市指定文化財 昭和54年4月1日指定)[6]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 戸田市市史編さん室 編『戸田市史 民俗編』戸田市、1983年、993-995p
  2. ^ 新編武蔵風土記稿 新曾村.
  3. ^ 建長の板碑1基戸田市
  4. ^ 文禄の石灯籠2基戸田市
  5. ^ 観音寺千体仏戸田市
  6. ^ 文正の板碑1基戸田市

参考文献

  • 戸田市市史編さん室 編『戸田市史 民俗編』戸田市、1983年

関連文献




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