観正院 (草加市)とは? わかりやすく解説

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観正院 (草加市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/01/30 01:40 UTC 版)

観正院
所在地 埼玉県草加市弁天6-7-24
位置 北緯35度50分49.5秒 東経139度48分54.5秒 / 北緯35.847083度 東経139.815139度 / 35.847083; 139.815139座標: 北緯35度50分49.5秒 東経139度48分54.5秒 / 北緯35.847083度 東経139.815139度 / 35.847083; 139.815139
山号 恵光山
院号 観正院
宗派 真言宗豊山派
本尊 十一面観音
創建年 慶長10年(1605年
開山 法印俊賢
観正院
観正院 (埼玉県)
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観正院(かんじょういん)は、埼玉県草加市にある真言宗豊山派寺院

歴史

1605年慶長10年)、法印俊賢によって開山された。当初の名称は「東照寺」であったが、1617年元和3年)に江戸幕府初代将軍大御所徳川家康に「東照大権現」の神号が贈られた。そのため、幕府に憚って、「」の字を「」に変えて「東寺」に改称した(避諱[1]

1908年明治41年)、埼玉県北足立郡新田村大字槐戸(現・草加市八幡町)にあった「観音寺」を合併した。その際に「日山東寺」と「明山阿弥陀院音寺」から字を組み合わせた「恵光観正院」に改称した[1]

現在の本尊十一面観音であるが、過去の記録によれば、旧本尊は釈迦如来とも薬師如来ともいわれている[1]

文化財

  • 寛文二年地蔵(庚申)立像(草加市指定文化財 昭和56年1月31日指定)[2]
  • 延宝六年地蔵(庚申)立像(草加市指定文化財 昭和56年1月31日指定)[3]

交通アクセス

脚注

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  1. ^ a b c 草加市史編さん委員会 編『草加の社寺(草加市史調査報告書第3集)』草加市、1985年、151p
  2. ^ 寛文二年地蔵(庚申)立像草加市
  3. ^ 延宝六年地蔵(庚申)立像草加市

参考文献

  • 草加市史編さん委員会 編『草加の社寺(草加市史調査報告書第3集)』草加市、1985年



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