西魏~隋
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2020/01/29 07:52 UTC 版)
西魏が武州に設置。戸数:10780、統県:7 将利県(旧:石門県)…西魏が安育県と改め、北周が将利県と改める。武都郡に置き、後に改めて永都郡とした。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃したが、大業(605年 - 618年)の初めに武都郡を置く。 建威県(旧:白水県)…北魏が粟邑県を白水県と改め、武都郡に属させた。西魏はふたたび郡を立て、改めて綏戎郡とした。北周は郡を廃し、改めて建威県とする。 覆津県…北魏で初め翫当県といい、武街郡を置いた。西魏は覆津県を設置して万郡に置くと、赤万・接難・五部の3県を統べる。北周は一郡三県を翫当県とした。開皇(581年 - 600年)の初めに武街郡が廃される。 盤堤県…西魏が設置。南五部県といい、後に改名する。 長松県…西魏が設置。初めは建昌県といい、のちに文州及び葭蘆郡を置く。開皇(581年 - 600年)の初めに郡を廃し、開皇18年(598年)に県を長松と改め、大業(605年 - 618年)の初めに州を廃す。 曲水県…西魏が設置。 正西県…西魏が設置。
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