西村公佑とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 西村公佑の意味・解説 

西村公佑

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/08/20 20:48 UTC 版)

西村 公佑(にしむら こうすけ、1934年7月30日- )は、日本競輪選手会大阪支部に所属していた元競輪選手日本競輪学校第6期生。師匠は畑中友蔵。

経歴

1953年4月5日向日町競輪場でデビューし1着。

1956年川崎競輪場で開催された第1回オールスター争覇競輪決勝で、石田雄彦に次いで2位。

1957年大阪中央競輪場で開催された第2回のオールスター競輪決勝では、奈良の大井清(大井啓世・58期の父)、滋賀中井光雄らを退けて優勝を果たした。また、同年の賞金王(4,338,200円)にも輝いた。

1961年岸和田競輪場で開催された第18回全国都道府県選抜競輪の2000メートル競走を制覇した。

優勝経験こそないが、高松宮杯競輪では、1957年から1981年まで25年連続出場を果たした。

1993年5月13日選手登録削除。通算勝利数792。

関連項目

外部リンク

先代
竹野暢勇
都道府県選抜2000m優勝者
1961年
次代
松川周次郎



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「西村公佑」の関連用語

西村公佑のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



西村公佑のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの西村公佑 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS