西光寺 (岡崎市鴨田町)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 03:03 UTC 版)

西光寺(さいこうじ)は、愛知県岡崎市鴨田町向山38番地の1に所在する浄土宗鎮西派の寺院。山号は長親山、院号は常念院。大樹寺の山内寺院の一つで、松平氏4代・松平親忠により創建された[1][2]。
歴史
創建から江戸時代まで
- 応仁元年(1467年) - 井田野の合戦で松平親忠軍が土豪連合軍と交戦。戦後に敵味方の戦死者を葬った千人塚を建立[3]。
- 文明7年(1475年) - 塚周辺で怪異が頻発したため、親忠が勢誉愚底を招き念仏堂を建立。これが西光寺の起源となる[1]。
- 永禄3年(1560年)- 桶狭間の戦いで敗走した徳川家康が大樹寺に逃れた際、追手と交戦した僧侶を葬る大衆塚が造営[4]。
- 元禄9年(1696年) - 大樹寺28世・忍誉が千人塚に南無阿弥陀仏碑を建立[5]。
- 寛保3年(1743年)- 松尾芭蕉の50回忌に際し、句碑「夏草や 兵どもが ゆめの跡」が建立[3]。
近代以降
伽藍と文化財
主要建造物
- 本堂 - 木造阿弥陀如来坐像(本尊)を安置[3]。
- 大衆塚 - 永禄3年の戦死者を葬る。市指定文化財の石造阿弥陀如来坐像(高さ1.2m)がある[4]。
- 句碑 - 松尾芭蕉の句碑(岡崎市最古の芭蕉碑)[3]。
文化財一覧

名称 | 種別 | 指定年 |
---|---|---|
千人塚 | 史跡 | 1974年 |
石造阿弥陀如来坐像 | 彫刻 | 1967年 |
行事

アクセス
脚注
関連項目
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