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蛭田禎男

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/06/21 13:35 UTC 版)

ひるた さだお

蛭田 禎男
生誕 1918年7月25日
日本岡山県上房郡高梁町川端
(現・高梁市
死没 2020年8月3日(102歳)
日本岡山県高梁市落合町
出身校 岡山県師範学校
(現・岡山大学教育学部
職業 教育者歴史家
代表作 『有漢点描 (全9巻)』
配偶者 徳子(妻)
子供 泰史(長男)
道夫
受賞 瑞宝双光章(2006年)
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蛭田 禎男(ひるた さだお、1918年大正7年)7月25日[1] - 2020年令和2年)8月3日[2])は、日本の教育者歴史家である。長年教諭を務め、小学校校長を務めた後[3]有漢町教育委員会指導員となり、有漢町の歴史を編纂した人物[3]岡山県高梁市出身。

経歴

生い立ち

1918年(大正7年)、岡山県上房郡高梁町川端(現:高梁市)で出生する[1]1930年昭和10年)に上房郡有漢村(後の有漢町)の蛭田傳助の養子となる。岡山県師範学校(現:岡山大学教育学部)を卒業する[1]

有漢中学校や有漢東小などで教師を40年務める[1]。小学校の校長を務めた後、地元の有漢の歴史や伝承の編纂を行う。1991年平成3年)には、「有漢点描」として全9巻出版し、明治、大正の動乱を中心に有漢の歴史をまとめている[4]

2006年(平成18年)88歳のとき、国から瑞宝双光章を授与される[5]。2018年(平成30年)100歳を迎えるが、その2年後、2020年(令和2年)8月3日、102歳にて死去した[2]

脚注

  1. ^ a b c d 「100歳おめでとう 高梁 蛭田禎男さん」2018.08.01 高梁・新見 -16版 山陽新聞朝刊
  2. ^ a b 叙位叙勲 2020.09.19 中国新聞社朝刊 叙勲 井笠・おかやま
  3. ^ a b 2005.07.28 高梁・新見-15版 36頁 山陽新聞朝刊
  4. ^ 高梁高校同窓会 東京支部だより 第30号 2018年「父100才迎え 高梁・有漢を想う」蛭田道夫
  5. ^ 高梁市市報 平成18年(2006年)9月版 11頁



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