藪上敏夫
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| 基本情報 | |
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| 国籍 |   | 
    
| 出身地 |   | 
    
| 生年月日 | 1951年5月10日(74歳) | 
| 身長 体重  | 
      178 cm 78 kg  | 
    
| 選手情報 | |
| 投球・打席 | 右投右打 | 
| ポジション | 投手 | 
| プロ入り | 1969年 ドラフト4位 | 
| 初出場 | 1971年 | 
| 最終出場 | 1971年 | 
| 経歴(括弧内はプロチーム在籍年度) | |
 
      
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        この表について
         
        
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藪上 敏夫(やぶかみ としお、1951年5月10日 - )は、和歌山県紀の川市出身の元プロ野球選手。ポジションは投手。
来歴・人物
和歌山県立向陽高等学校では、エースとして1968年秋季近畿大会県予選決勝に進み、箕島高の島本講平に投げ勝つ。近畿大会では準決勝で山本功児、淡口憲治のいた三田学園に敗れるが、翌1969年春の選抜への出場を決める。しかし選抜では1回戦で三重高の上西博昭に抑えられ敗退[1]。同年夏の甲子園県予選では、準決勝で箕島高の島本に完封を喫し、甲子園出場はならなかった。1年下のチームメートに遊撃手の林正広がいた。
1969年のドラフト会議で南海ホークス(現・福岡ソフトバンクホークス)から4位指名されるが、社会人野球の新日鐵広畑に進む。しかし球団の説得により翌年のドラフト交渉期限前に入団。1971年には中継ぎで10試合に登板するが、1972年限りで引退。
右の本格派でスライダー、カーブ、シュートを武器とし、制球は良いが球威に欠けていた。
詳細情報
年度別投手成績
| 年 度  |  
     球 団  |  
     登 板  |  
     先 発  |  
     完 投  |  
     完 封  |  
     無 四 球  |  
     勝 利  |  
     敗 戦  |  
     セ 丨 ブ  |  
     ホ 丨 ル ド  |  
     勝 率  |  
     打 者  |  
     投 球 回  |  
     被 安 打  |  
     被 本 塁 打  |  
     与 四 球  |  
     敬 遠  |  
     与 死 球  |  
     奪 三 振  |  
     暴 投  |  
     ボ 丨 ク  |  
     失 点  |  
     自 責 点  |  
     防 御 率  |  
     W H I P  | 
    
|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|---|
| 1971 | 南海 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 72 | 17.0 | 16 | 2 | 4 | 0 | 1 | 8 | 1 | 0 | 5 | 3 | 1.59 | 1.18 | 
| 通算:1年 | 10 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | 0 | -- | -- | ---- | 72 | 17.0 | 16 | 2 | 4 | 0 | 1 | 8 | 1 | 0 | 5 | 3 | 1.59 | 1.18 | |
背番号
- 36(1971年 - 1972年)
 
脚注
- ^ 「選抜高等学校野球大会60年史」毎日新聞社編 1989年
 
関連項目
外部リンク
- 個人年度別成績 薮上敏夫 - NPB.jp 日本野球機構
 
固有名詞の分類
- 藪上敏夫のページへのリンク