藤沢友吉 (初代)とは? わかりやすく解説

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藤沢友吉 (初代)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/10/25 09:44 UTC 版)

藤澤 友吉(ふじさわ ともきち、1866年4月19日慶応2年3月5日[1] - 1932年4月17日)は、日本の実業家。藤沢商店(藤沢薬品工業)の創業者。

人物

慶応2年(1866年)、伊勢国三重県)で生まれる。少年時代から大阪に出て薬品問屋の店員を勤め、旧尼崎藩医藤沢新平の養子となった。明治27年(1894年)主家を出て、大阪で独立、薬種商を始め、明治31年(1898年大阪市北区天満に樟脳精製所を設立、藤沢樟脳を発売した。さらに東京、京城に支店を設け、香川県坂出に工場を増設、苦汁工業を興し、大正5年(1916年)ブルトーゼを発売。のち回虫駆除の新薬マクニンを製造、株式会社藤沢商店(藤沢薬品工業)社長として活躍した。また日本樟脳取締役、日本売薬監査役、大阪商業会議所議員、大阪薬種卸仲買商組合長も務めた。大正10年(1921年)ポルトガル大阪駐在名誉副領事。

脚注

  1. ^ 『人事興信録 5版』人事興信所、1918年、ふ29頁。



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