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藤堂忠次郎

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/29 22:30 UTC 版)

藤堂忠次郎

藤堂 忠次郎(とうどう ちゅうじろう、慶応3年7月20日1867年8月19日) - 昭和7年(1932年2月23日[1])は、日本教育者

経歴

京都府出身。中村源七の二男に生まれ、藤堂まさの養子となった。1895年(明治28年)、東京高等師範学校を卒業。宮城県師範学校教諭、東京女子高等師範学校教諭、兵庫県明石女子師範学校校長を歴任し、1909年(明治42年)に奈良女子高等師範学校教授に就任した。退官後の1916年大正5年)から1921年(大正10年)まで大阪府立梅田高等女学校校長・金蘭会高等女学校校長を務めた[2]

著書

  • 『女子理科 生物学』(吉川弘文館、1900年) 岩川友太郎と共著
  • 『女子理科 生理衛生学』(吉川弘文館、1901年) 岩川友太郎と共著
  • 『女子理科 新訂鉱物及化学』(吉川弘文館、1902年) 原田長松と共著

脚注

  1. ^ 『茗渓会七十年史』茗渓会、1952年、99頁。 
  2. ^ 『回顧四十年』金蘭会、1926年。

参考文献

  • 人事興信所編『人事興信録 第4版』人事興信所、1915年。 
公職
先代
校長事務取扱
小島松之助
大阪府立梅田高等女学校
1916年 - 1921年
次代
雀部顕宜
先代
(新設)
奈良女子高等師範学校附属高等女学校主事
1911年 - 1915年
次代
野田義夫
先代
(新設)
兵庫県明石女子師範学校長
1903年 - 1909年
次代
井田竹治



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