藤原忠綱 (秀郷流)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 藤原忠綱 (秀郷流)の意味・解説 

藤原忠綱 (秀郷流)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/05/03 07:42 UTC 版)

藤原 忠綱(ふじわら の ただつな、生年不明 - 寿永2年(1183年))は、平安時代末期の武士上総介・藤原忠清の嫡男。平氏政権の有力家人の一人。弟に忠光、光景、景清がいる。

治承3年(1179年)11月、平清盛クーデター治承三年の政変)に伴う除目により左衛門少尉に任ぜられ、検非違使宣旨も受けた。翌年5月、平氏追討の兵を挙げた以仁王源頼政の追討(以仁王の挙兵)にあたって源兼綱らを斬り、その勲功により従五位下に叙位され、それ以後、上総大夫判官と呼ばれた。寿永2年(1183年)、源義仲の追討にも参加したが、倶利伽羅峠の戦いで戦死した。

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「藤原忠綱 (秀郷流)」の関連用語

藤原忠綱 (秀郷流)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



藤原忠綱 (秀郷流)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの藤原忠綱 (秀郷流) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS