藤原忠宗 (藤原式家)
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2019/01/14 09:14 UTC 版)
ナビゲーションに移動 検索に移動時代 | 平安時代初期 - 前期 |
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生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
官位 | 従五位下・備前介 |
主君 | 文徳天皇→清和天皇 |
氏族 | 藤原式家 |
父母 | 父:藤原緒嗣 |
兄弟 |
家緒、春津、本雄、忠宗、正子、 藤原常嗣室 |
藤原 忠宗(ふじわら の ただむね)は、平安時代初期から前期にかけての貴族。藤原式家、左大臣・藤原緒嗣の子。官位は従五位下・備前介。
経歴
文徳朝の斉衡2年(855年)従五位下に叙爵し、天安元年(857年)大監物に任ぜられる。翌天安2年(858年)5月に中務少輔に任ぜられ、同年清和天皇の践祚後の9月に侍従に転任する等、文徳朝から清和朝初頭にかけて京官を歴任する。
その後、貞観4年(862年)侍従から阿波介に転じると、貞観6年(864年)備前介と地方官を務めた。
官歴
『六国史』による。
- 時期不詳:正六位上
- 斉衡2年(855年) 正月7日:従五位下
- 天安元年(857年) 11月25日:大監物
- 天安2年(858年) 5月11日:中務少輔。9月23日:侍従
- 貞観4年(862年) 正月13日:阿波介
- 貞観6年(864年) 正月16日:備前介
出典
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