薬林寺 (川口市)とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 薬林寺 (川口市)の意味・解説 

薬林寺 (川口市)

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/11/06 00:21 UTC 版)

薬林寺
所在地 埼玉県川口市朝日1-4-33
位置 北緯35度48分28.3秒 東経139度43分56.6秒 / 北緯35.807861度 東経139.732389度 / 35.807861; 139.732389座標: 北緯35度48分28.3秒 東経139度43分56.6秒 / 北緯35.807861度 東経139.732389度 / 35.807861; 139.732389
山号 瑠璃山
宗派 真言宗智山派
本尊 阿弥陀如来
創建年 寛正元年(1460年)または文明18年(1486年
開山 宥淳または宥鎮
中興年 大永5年(1525年
中興 了高
札所等 北足立八十八ヵ所霊場第75番札所、武蔵国八十八ヶ所霊場第75番札所、武州足立百不動尊霊場第33番札所
公式サイト 薬林寺
薬林寺
薬林寺 (埼玉県)
テンプレートを表示

薬林寺(やくりんじ)は、埼玉県川口市にある真言宗智山派寺院

歴史

1460年寛正元年)、宥淳によって開山されたとも、1486年文明18年)、宥鎮によって開山されたともいわれている。当寺や所属宗派の真言宗智山派は前者の説を採っている[1][2][3]

その後、1525年大永5年)に了高によって中興された[1][2][3]

かつては大伽藍を誇っていたが、天正年間(1573年 - 1592年)の岩付城落城の際の落武者が逃れてきたので破壊されたという[1][2][3]

当寺の境内には薬師堂があり、薬師三尊が安置されている。領家光音寺慈林薬師宝厳院の薬師とともに「川口三薬師」と称されている。中興の了高が1539年天文8年)に建てたものである。現在の1989年平成元年)に建てられたものである[1][3]

境内には観音堂もある。元々は朝日氷川神社本地仏である観音菩薩を安置していたが、明治初期の神仏分離により、旧別当寺の当寺に移築されたものである[3]

交通アクセス

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d 薬林寺真言宗智山派埼玉第一教区
  2. ^ a b c 薬林寺の由緒薬林寺
  3. ^ a b c d e 川口大百科事典刊行会 編『川口大百科事典』川口大百科事典刊行会、1999年、434p

参考文献

  • 川口大百科事典刊行会 編『川口大百科事典』川口大百科事典刊行会、1999年

外部リンク




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  薬林寺 (川口市)のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「薬林寺 (川口市)」の関連用語

薬林寺 (川口市)のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



薬林寺 (川口市)のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの薬林寺 (川口市) (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS