薬上寺とは? わかりやすく解説

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薬上寺

読み方:ヤクジョウジ(yakujouji)

別名 あびこ薬師

宗派 高野山真言宗

所在 兵庫県飾磨郡夢前町

本尊 薬師如来

寺院名辞典では1989年7月時点の情報を掲載しています。

薬上寺

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2023/11/17 23:05 UTC 版)

薬上寺
本堂
所在地 兵庫県姫路市夢前町山之内乙249−1
位置 北緯35度2分0秒 東経134度40分31.3秒 / 北緯35.03333度 東経134.675361度 / 35.03333; 134.675361
山号 鹿谷山
宗派 高野山真言宗
本尊 薬師如来
創建年 不明
開基 行基
中興年 1601年 – 1616年間
中興 台昉
明覚
正式名 鹿谷山藥上寺
別称 椿の寺
札所等 播磨八薬師霊場3番
法人番号 3140005014400
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薬上寺(やくじょうじ)は、兵庫県姫路市にある高野山真言宗の寺院。山号は鹿谷山本尊薬師如来播磨八薬師霊場3番札所。

沿革

行基により開基されたと伝えられる。創建年は不明である。

宍粟郡長水城主宇野某氏により寺堂全部と行基作の本尊薬師如来像が焼き払われた。宇野氏の局が寺堂を再建し、因幡の仏師保玄作の薬師如来像を安置した。

池田輝政が姫路城主(1601 – 16)の時代に、台昉により中興された。台昉は当寺本尊薬師如来の夢告によって神通散という眼病の良薬を作ったとされ、明治時代までは当寺で作られていた。昔から当寺の薬師如来は眼病治癒については霊験(れいげん)現たかと信仰が厚い。播磨万網諸所寺集記によると1681年(天保元年)に寺堂が焼失し、1684年(貞享元年)に明覚によって再建された。

古来、多可郡多可町中区西安田[1]の吉祥山圓満寺[2]の末寺であったが、1900年(明治32年)10月に京都東寺の末寺となり、1911年(明治44年)高野山龍光院の末寺となっている。また、福崎町金剛城寺とは、台昉の時以来今に至るまで関係が深い。

歴史作家の寺林峻は当寺の出身であり、1983年(昭和58年)から1999年(平成11年)まで住職を務めている[3]

境内

  • 山門
  • 本堂
  • 阿弥陀堂
  • 観音堂
  • 行者堂

ギャラリー

出典

  1. ^ 多可郡西安田村、中町大字西安田
  2. ^ [1]
  3. ^ 寺林 峻 | 兵庫ゆかりの作家 | ネットミュージアム兵庫文学館”. 兵庫県立美術館. 2023年11月18日閲覧。


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