薛処敬とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 薛処敬の意味・解説 

薛処敬

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/01/15 05:00 UTC 版)

薛 処敬(せつ しょけい、生没年不詳)は、大元ウルスに仕えた政治家の一人。

概要

生い立ち

1310年代、大元ウルスでは皇太后ダギとその親任を得たテムデルが政治の実権を握り、ブヤント・カアン(仁宗アユルバルワダ)はお飾りの皇帝となっていた[1]延祐7年(1320年)にブヤント・カアンが死去するとその子のシデバラがゲゲーン・カアンとして即位したが、引き続きダギとテムデルによって政治は壟断されたままであった[2]

しかし、同年5月にゲゲーン・カアンは自らの廃位を企んだとしてダギ-テムデルと近しいシレムン・ハサンらを処刑し、ダギ-テムデルの言いなりにはならない姿勢を示した[3]。このような流れの中で、同年12月にテムデルによって取り立てられたムバーラクを罷免して右丞となったのがジルカラン、江南浙西道廉訪使から中書参知政事に昇格となったのが薛処敬であった[4]

その後、テムデルとダギが相継いで亡くなる約半年前に薛処敬は参政を解任され、河南行省左丞とされた[5]

脚注

  1. ^ 杉山正明 1995, p. 135.
  2. ^ 杉山正明 1995, p. 137.
  3. ^ 杉山正明 1995, p. 138-139.
  4. ^ 『元史』巻27英宗本紀1,「[延祐7年十二月]己巳……中書右丞木八剌罷為江西行省右丞、以中書参知政事只児哈朗為右丞、江南浙西道廉訪使薛処敬為中書参知政事」
  5. ^ 『元史』巻27英宗本紀1,「[至治二年二月]癸卯、以江南行台御史大夫欽察為中書平章政事、江浙行省参政王居仁為中書参知政事、薛処敬罷為河南行省左丞」

参考資料




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  薛処敬のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「薛処敬」の関連用語

薛処敬のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



薛処敬のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの薛処敬 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS