薄幸な前半生
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2021/08/15 07:14 UTC 版)
小アグリッピナことユリア・アグリッピナはオッピドゥム・ウビオルム(現在のケルン)で生まれた。当時、父ゲルマニクスはアルミニウスらゲルマニア人との戦争の真っ只中であった。ゲルマニクスは16年にゲルマニア総督の任を解かれ、ローマでの凱旋式の後、シリア属州として任地に赴いたが、西暦19年に没した。以来、母アグリッピナのもとで暮らす。 西暦28年、ユリアは最初の結婚をする。相手は帝位継承者の一人、グナエウス・ドミティウス・アヘノバルブス(大アントニアの一人息子で西暦32年にコンスル職に就いた)。結婚したものの母が西暦29年にパンダテリア島(現在のヴェントテーネ)に流罪、西暦33年に皇帝ティベリウスより処刑されるなど薄幸な前半生を送った。
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