蕭孝友とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 蕭孝友の意味・解説 

蕭孝友

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/07/13 03:05 UTC 版)

蕭孝友(しょう こうゆう、991年 - 1063年)は、(契丹)の外戚は撻不衍。小字は陳留。欽哀蕭皇后の弟にあたる。

経歴

蕭陶瑰の子として生まれた。開泰初年、外戚として任用され、小将軍の位を受けた。太平元年(1021年)、大冊の礼において、左武衛大将軍・検校太保の位を加えられ、孝友の名を賜った。

重熙元年(1032年)、西北路招討使に累進し、蘭陵郡王に封じられた。重熙8年(1039年)、陳王に進んだ。重熙10年(1041年)、中書令の位を加えられ、効節宣庸定遠功臣の称号を賜り、呉王に改封された。後に兄の蕭孝穆・蕭孝誠を葬ると、京師に帰還して南院枢密使となり、翊聖協穆保義功臣の称号を賜り、趙王に進み、中書令に任じられた。母の喪のために辞職したが、重熙15年(1046年)に北府宰相として復帰した。

重熙18年(1049年)、西夏遠征に参加して、弟の枢密使蕭恵とともに敗戦の責を問われたが、欽哀太后のとりなしで許された。重熙19年(1050年)、東京留守となり、燕王に徒封された。上京留守に転じ、さらに秦王に進んだ。

清寧元年(1055年)、尚父の位を加えられた。しばらくしてまた東京留守となった。清寧2年(1056年)、再び北府宰相となった。洛京留守に遙任され、さらに純徳功臣の称号を賜った。後に致仕すると、豊国王に封じられた。

清寧9年(1063年)、子の蕭胡睹が耶律重元を立てて反乱を起こすと、孝友も連座して処刑された。享年は73。

伝記資料

  • 遼史』巻87 列伝第17



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「蕭孝友」の関連用語

蕭孝友のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



蕭孝友のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの蕭孝友 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS