蓮華寺 (京丹後市)
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蓮華寺 | |
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所在地 | 京都府京丹後市網野町島津2940 |
位置 | 北緯35度40分52.1秒 東経135度03分10.9秒 / 北緯35.681139度 東経135.053028度座標: 北緯35度40分52.1秒 東経135度03分10.9秒 / 北緯35.681139度 東経135.053028度 |
山号 | 雲渓山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 阿弥陀如来 |
創建年 | 文明3年(1471年) |
開基 | 開祖:利貞和尚(1471年) 開山:橘洲宗曇大和尚(1605年) |
法人番号 | 4130005011158 |
蓮華寺(れんげじ)は、京都府京丹後市網野町島津2940にある曹洞宗の寺院。山号は雲渓山。本尊は阿弥陀如来[1]。宮津市の智源寺の末寺[1]。
歴史
創建
文明3年(1471年)、利貞和尚を開祖として創立した[1]。
近世
宮津城下の智源寺2世の橘洲宗曇大和尚を開山として法地(寺格)となった[1]。寺記では正保2年(1645年)12月開山であるとされるが、『網野町誌 下巻』はこれに異を唱えて「蓮華寺記録」の慶長10年(1605年)開山としている[1]。なお、網野町では切畑の萬泉寺、掛津の海蔵寺も橘洲宗曇大和尚を開山としている[2]。
『竹野郡誌』によると文政元年(1818年)に本堂が再建されたというが、『網野町誌 下巻』はこれに異を唱えて文政5年(1822年)の再建としている[1]。
近代

1900年(明治33年)春、大阪・高津の今村久兵衛によって梵鐘が鋳造された[3]。1927年(昭和2年)3月7日に発生した北丹後地震では、本堂などが焼失して鐘楼が倒壊した[1]。
高さ三メートル、長さ四、五十メートルもあった寺の石垣が道路に崩れ落ち、本堂は全焼して境内の樹木だけが焼け残っていた。鐘楼は潰れ石垣の上の瓦葺き白壁の長塀も幾片かに切断され、道に落下したり斜に石垣に倒れ重なり、瓦礫と化した。 — 嵯峨根嘉一『汗と大震災 下』島津書房、1991年
1934年(昭和9年)には島津の伊藤徳蔵を棟梁として、本堂、位牌堂、庫裏などが再建され、1935年(昭和10年)11月に落成式が挙行された[1]。費用は檀家の浄財が充てられ、本堂と位牌堂の建設費は2万5000円、庫裏は5000円を要している[1]。庫裏には倒壊した島津村立島津小学校の古材も用いられた[1]。この再建時、与謝郡栗田村(現・宮津市)の滝井庵から本尊となる阿弥陀如来坐像が寄進された[1]。
現代
北丹後地震後には梵鐘が仮堂に吊るされていたが、太平洋戦争中の1942年(昭和17年)秋に金属類回収令によって供出された[3]。これから30年以上に渡って梵鐘がなかったが、1978年(昭和53年)8月に梵鐘が再鋳された[3]。
1976年(昭和51年)3月1日には旧尾坂寺宝篋印塔が網野町指定文化財に指定された[4]。
境内

- 本堂
- 庫裏
- 鐘楼
- 旧尾坂寺宝篋印塔 - 室町時代初期の作とされる宝篋印塔。もともと尾坂の尾坂寺にあったが、まず島津の内田浩平家に移設され、次いで蓮華寺に移設された[1]。製作された時代をよく表し、気品高い石造物であるとされる[5][6]。京丹後市指定文化財。
- 震災供養塔[7] - 1927年(昭和2年)の北丹後地震後に建立された震災記念碑。
-
梵鐘
交通アクセス
- 所在地
- アクセス
脚注
参考文献
- 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下巻』網野町、1996年
外部リンク
- 蓮華寺 曹洞宗ナビ
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