海蔵寺 (京丹後市)
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海蔵寺 | |
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海蔵寺(2019年5月)
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所在地 | 京都府京丹後市網野町掛津102 |
位置 | 北緯35度41分58.3秒 東経135度03分18.5秒 / 北緯35.699528度 東経135.055139度座標: 北緯35度41分58.3秒 東経135度03分18.5秒 / 北緯35.699528度 東経135.055139度 |
山号 | 掛津山 |
宗派 | 曹洞宗 |
本尊 | 釈迦牟尼如来 |
創建年 | (伝)元和3年 |
開基 | (伝)梅岩舜貞座元 |
法人番号 | 1130005011045 |
海蔵寺(かいぞうじ)は、京都府京丹後市網野町掛津102にある曹洞宗の寺院。山号は掛津山(かしんざん)[1]。本尊は釈迦牟尼如来である[1]。国指定天然記念物「琴引浜鳴き砂」の保全を祈願するお寺である。
歴史
長和年間(1012年 - 1017年)には掛津浦前浜の人家が増えたことで、字椿原に一堂宇を建設したことに起源を持つ[1]。長和3年(1014年)頃から長禄3年(1459年)頃まで、本寺は字椿原にあり、薬師如来および日光・月光両菩薩が奉置されていた[2]。
もともと海蔵寺は真言宗であったが、2021年(令和3年)現在は曹洞宗で智源寺末である[3]。元和3年(1617年)には堂宇と仏像を大道の地に移し、正徳2年(1712年)に墓の下に精舎を創建して海蔵寺と称した[3]。文政6年(1823年)4月1日、火災で海蔵寺は全焼した[3]。
火災後には東之丘の現在地に境内を定め、中興2世である良獄鶴栄和尚の代に寺を建てた[2][4]。1927年(昭和2年)3月7日、北丹後地震により寺は全壊・全焼し、墓石のほとんどが倒壊、過去帳も焼失するなど甚大な被害を受けた[2]。そのため、1930年(昭和5年)に応急措置として本堂が再建され、この本堂が今日に至っている[2]。
境内
- 本堂 - 本尊の釈迦牟尼如来は木彫で37cmである[5]。禅宗寺院として座禅の普及に努めており、本堂では座禅体験を行っている[6]。
- 山門 - 名称は琴祥門。
- 大乗妙典塔 - 安永8年(1779年)建立[5]。
行事
アクセス
脚注
参考文献
- 網野町誌編さん委員会『網野町誌 下』網野町役場、1996年
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