菱田義民とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 菱田義民の意味・解説 

菱田義民

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2022/09/28 05:52 UTC 版)

菱田 義民(ひしだ よしたみ、1865年9月23日慶応元年8月4日[1][2][3]〉 - 没年不明[3])は、明治時代の政治家官吏朝鮮総督府官僚山形県山形市長。

経歴

伊勢亀山藩領、のちの三重県に生まれる[2]。菱田民蔵の長男[1]。法政経済と漢学を学んだ[1]。1879年(明治12年)滋賀県属を拝命し、石川県属、台南県内務部長、農商務省山林局属などを経て、山形県に出仕する[2]。山形県会計課長を経て、山形市助役、1904年(明治37年)9月に山形市長に就任した[1]

前市長の佐治吉左衛門の後任市長の詮衡で菱田助役の市長昇格の動きがあった一方で山形土着の人を推す向きもあった[1]。菱田は2代前の雄倉茂次郎の頃の市会の混乱を見て取った田中貴道県知事の命により、市の財務監査のため派遣されたものであった[1]。在任中は煙草製造所の設立問題が起きた時に市政調査に尽力したほか、各般の計画を立てるなど積極的であったために多額の市費を使った[1]。このことが非難の的となり、任期途中で自ら辞職した[1]。その後は、朝鮮に転じ、漢城府事務官[4]忠清南道内務部長[5]を歴任した[1]

脚注

[脚注の使い方]
  1. ^ a b c d e f g h i 歴代知事編纂会 1983, 373頁.
  2. ^ a b c 『菱田義民山形県山形市長就任ノ件』 - 国立公文書館デジタルアーカイブ、明治37年9月1日。
  3. ^ a b 日外アソシエーツ 2022, 50頁.
  4. ^ 京城府 1936, 417頁.
  5. ^ 牧山 1911, 281頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  菱田義民のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「菱田義民」の関連用語

菱田義民のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



菱田義民のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの菱田義民 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS