荒木山西塚・東塚古墳
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/09/25 06:25 UTC 版)
荒木山西塚・東塚古墳(あらきやまにしづか・ひがしづかこふん)は、荒木山西塚古墳及び荒木山東塚古墳の両古墳を総称したものである[1]。墳丘形態から、東塚次いで西塚の順で古墳時代前期の3世紀半ば〜4世紀に造されたとみなされている[1][2][3]。西塚古墳の発掘調査は、全国でも珍しい「市民参画」として2022・2023年度の2か年計画事業として実施された[1][2]。
概要
岡山県真庭市上水田(旧北房町)に所在し、荒木山城御崎古墳の別称がある[4]。北房地域で最も古い段階 の首長墳と考えられており、前方後円墳である西塚とその東側に前方後方墳である東塚が隣接して存在する[4]。東塚は、前方部を西に向ける全長 45m高さ 2.3m の前方後方墳であり前方部がバチ形に開く形態で、北房地域では最も古い古墳と考えられる[4]。 西塚は、東塚に 続く首長墳で前方部を南西に向ける全長約 63 m高さ6m の前方後円墳であり、後円部の墳頂平坦面に全長4.5m、幅0.9mの竪穴式石室がある。盗掘により天井石が開けられており 内部の詳細は不明であるが、結晶片岩の板状の石を積み上げて構築している[4]。
住民参加による発掘調査
- 両古墳は、地域を代表する古墳として1959年(昭和34年)に北房町史跡に指定された[4]。
- 2005年、市町村合併により真庭市になっても市の史跡として引き継がれていたが、古墳が所在する山林は荒廃するままで見学もままならない状態にあった[5][6]。
- 2016年、地域の住民有志が「荒木山の古墳を顕彰する会」(現:北房文化遺産保存会)を結成し両古墳とその周辺の環境整備を行う[5]。
- 2017年、両古墳について詳細な現況が 把握できるよう、「荒木山の古墳を顕彰する会」から真庭市教育委員会等に対し測量調査実施の要望があった[5][7]。
- 市教委は、北房地域に縁のある同志社大学の津村宏臣氏に協力を依頼し、地域の住民参加による測量に物理探査を加えた非破壊調査の提案があった[5][8]。
2018・2019年度の「荒木山西塚・東塚古墳」測量・物理探査
- 市教委は、担い手育成講座として「まに大附属ふるさと研究所」を北房公民館に開設し、2018・2019年度で測量・物理探査による両古墳の現地調査を行った[5]。
- 当講座に申し込んだ、高校生から高齢者まで幅広い年齢層の地域住民がこの現地調査に参加した[9][10]。
【測量結果】
名称 | 全長(m) | 現状幅(m)後円(方)部 | 現状幅(m)くびれ部 | 現状幅(m) 前方部端 | 現状高(m) 後円(方)部 | 現状高(m) 前方部 | 後円(方)部墳頂の埋葬施設 |
荒木山西塚古墳 | 63.76 | 39.12 | 9.85 | 14.50 | 5.00 | 2.00 | 複数(木棺直葬または粘土槨)の可能性 |
荒木山東塚古墳 | 47.50 | 20.80 | 16.00 | 18.50 | 3.00 | 1.20 | 複数(石室)の可能性 |
[11]。
【表面採集された遺物】
- 土師器片(西塚後円部東側斜面):頚部から肩部にかけての破片と思われる。古墳時代前期後葉に位置付けられる可能性がある[11]。
- 鉄器片(西塚後円部墳頂平坦面):鉄鏃の先端部と思われる。長さ 2.8cm、幅 2.6cm、厚さ 0.7cm 。型式は不明だが古墳に伴う可能性がある[11]。
- 中世陶器片(東塚後方部東斜面):詳細不明[11]。
この調査結果は、『荒木山 真庭市史跡「荒木山西塚・東塚古墳」測量・探査調査報告書』にまとめられ[12]、市立7図書館で閲覧できる。また市役所と北房振興局で販売されている[13]。
2022年度の「荒木山西塚古墳」第1次発掘調査
- 真庭市は、古墳などの 文化遺産を文化振興や観光振興などで活用する「西の明日香村づくり」を提唱し、その中核プロジェクトとして荒木山西塚古墳の発掘調査を位置付けた[1]。
- プロジェクト推進のために組織された「西の明日香村コンソーシアム」の構成員である真庭市教育委員会、真庭市北房振興局、同志社大学文化遺産情報科学調査研究センター、北房文化遺産保存会が共同して荒木山西塚古墳の調査業務を進めた[1][14]。
【調査結果】
- 後円部径は約40mと推定される[15]。
- 墳裾から墳頂部平坦面の盛土上面までの高さは約5.8mを測り、墳端から高さ約2.85mまでは地山を削り出し、それより上部は盛土により構築されていることが判明した[15]。
- 検出した石列から、現状では後円部は2段以上の築成とみなすことができる[15]。
【出土遺物】
- 小型丸底壺(トレンチ2の墳裾付近):形態や胎土といった特徴から古墳時代前期後葉(4世紀中葉〜後葉)に位置づけられる[15]。
- 長頸の壺型土器(トレンチ2の墳裾付近):県内では類例のない形態[15]。
- 弥生土器(トレンチ1・2の墳裾付近):この地が古墳築造以前にも土地利用されていたことを明らかにした[15]。
この調査結果は、『荒木山 真庭市史跡 荒木山西塚古墳第1次発掘調查概報』にまとめられ[16]、岡山県立図書館や真庭、津山市立図書館で閲覧できる[17]。
脚注
- ^ a b c d e 「真庭市埋蔵文化財調査報告10」『パンフレット』、真庭市教育委員会、1頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ a b 「"市民参画"発掘スタート」『山陽新聞』2022年11月27日。
- ^ 「住民参加発掘2年目開始」『山陽新聞』2023年11月26日。
- ^ a b c d e 「真庭市埋蔵文化財調査報告9」『パンフレット』、真庭市教育委員会、3頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ a b c d e 「真庭市埋蔵文化財調査報告9」『パンフレット』、真庭市教育委員会、1頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ “真庭市の概要 真庭市” (2019年12月12日). 2025年9月19日閲覧。
- ^ 「大型古墳の謎解けるか」『山陽新聞』2018年10月31日。
- ^ 「歴史遺産住民で守る」『山陽新聞』2019年8月5日。
- ^ 「真庭市埋蔵文化財調査報告9」『パンフレット』、真庭市教育委員会、2頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ 「最先端技術駆使し調査」『山陽新聞』2018年11月28日。
- ^ a b c d 「真庭市埋蔵文化財調査報告9」『パンフレット』、真庭市教育委員会、34頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ 「真庭市埋蔵文化財調査報告9」『パンフレット』、真庭市教育委員会、2025年9月19日閲覧。
- ^ 「最古級古墳と中世城館跡 調査報告書を発行」『山陽新聞』2021年9月26日。
- ^ 「真庭の荒木山古墳西塚 発掘へ意欲高める」『山陽新聞』2022年10月20日。
- ^ a b c d e f 「真庭市埋蔵文化財調査報告10」『パンフレット』、真庭市教育委員会、17頁、2025年9月19日閲覧。
- ^ 「真庭市埋蔵文化財調査報告10」『パンフレット』、真庭市教育委員会、2025年9月19日閲覧。
- ^ 「石列や類例ない土器出土 真庭市教委荒木山西塚古墳発掘概報を刊行」『山陽新聞』2024年5月7日。
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