荒川清丸・玉奴とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 荒川清丸・玉奴の意味・解説 

荒川清丸・玉奴

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/03/26 03:27 UTC 版)

荒川清丸・玉奴(あらかわせいまる・たまやっこ)は、大正から昭和期に活躍した夫婦音曲漫才コンビ

概要

荒川清丸は1897年の生まれ。出生地は不明、東京の育ち。かっぽれの名手であった豊年斎梅坊主の弟子で幇間やかっぽれ、軽口などを教わった。のちに1914年に京都を巡業中に万歳の玉子屋円辰の一座を見て、弟子となり円太郎を名乗る。

1917年の夏に徴兵検査で再び帰京。日本チャップリン・梅廼家ウグイスらが売れているのに触発され「元祖 家元 宗家 萬才 玉子家円太郎・玉奴」という物々しい名刺を作り売り出そうとしたが東京では無名の漫才師には相手にされず、2年程冷遇される。1924年に荒川清丸と改名し再起を図るとたちまち売れっ子になり、1926年には五蝶会という一座を結成するなど活躍。

その後、戦後まで夫婦で活躍した。

メンバー

  • 荒川清丸(あらかわせいまる、1897年 - 没年不詳)本名:荒川清一。
  • 荒川玉奴(あらかわたまやっこ、生没年不詳)本名不詳。

関連項目

参考文献

  • 「大衆芸能史資料集成 第七巻」



英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「荒川清丸・玉奴」の関連用語

荒川清丸・玉奴のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



荒川清丸・玉奴のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荒川清丸・玉奴 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS