荒尾成重とは? わかりやすく解説

荒尾成重

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2018/12/19 01:10 UTC 版)

ナビゲーションに移動 検索に移動
 
荒尾成重
時代 江戸時代
生誕 慶安2年(1649年
死没 元禄5年4月20日1692年6月4日
改名 平左衛門(幼名)→成重
別名 玄蕃、但馬(通称)
戒名 了春院殿前但州武林紹秀大居士
墓所 鳥取県米子市の了春寺
主君 池田光仲
因幡鳥取藩家老
氏族 荒尾氏
父母 父:荒尾成直
兄弟 成氏、成重、知定、成紹、鵜殿長春室、津田元長室
成倫

荒尾 成重(あらお なりしげ)は、江戸時代武士因幡鳥取藩家老)。米子荒尾家3代。

経歴

承応2年(1653年)、池田氏家老・荒尾成直の次男として生まれる。 明暦元年(1655年)、3歳で父・成直の幕府への証人(人質)として江戸に下向する。寛文9年(1670年)12月、兄・成氏が24歳で早世。寛文10年(1671年)5月、父・成直の継嗣と定められる。延宝2年(1674年)4月、玄蕃と改名。

延宝7年(1679年)3月、成直の死去により家督相続し米子領主となる。家老として藩主・池田光仲に仕えた。同年5月、父・成直が非常のときのためにと蓄えた1万両を藩に献上。天和元年(1681年)1月、成重の願いにより、弟・成紹が藩士として召出される。 延宝8年(1680年)9月、但馬と改名。貞享元年(1684年)5月、嫡男・平左衛門誕生。元禄3年(1690年)9月、米子入り。

元禄5年(1692年)4月20日死去。享年44。家督は嫡男・平左衛門(成倫)が相続したが、幼いため、成重の弟で分家当主の成紹が後見を務めた。

関連項目

演じた人物

参考文献

  • 『鳥取藩史』
  • 『因府年表』




固有名詞の分類


英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「荒尾成重」の関連用語

荒尾成重のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



荒尾成重のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの荒尾成重 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS