芳賀宇之吉とは? わかりやすく解説

Weblio 辞書 > 辞書・百科事典 > 百科事典 > 芳賀宇之吉の意味・解説 

芳賀宇之吉

出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2025/08/04 09:39 UTC 版)

芳賀 宇之吉(はが うのきち、1856年(安政3年2月[1][2]) - 1916年(大正5年)9月19日[1][2])は、明治から大正時代の政治家衆議院議員

経歴

陸奥国信夫郡庭坂村福島県信夫郡庭坂村、大庭村、吾妻村、吾妻町を経て現福島市)に生まれる[2]。生家は代々豪農として知られた[2]

村会議員、郡会議員、同参事会員を経て、1894年(明治27年)福島県会議員に当選[2]。以降死去するまで県会に籍を置いた[2]

この間、常置委員、所得税調査委員、凶作特別委員、教育費特別委員に推挙され、1913年(大正2年)10月には警察費調査委員長、同年12月には県民大会実行委員長を歴任した[2]。ほか、福島電燈監査役を務めた[2]

1898年(明治31年)3月の第5回衆議院議員総選挙では福島県第1区から出馬し当選[1]。衆議院議員を1期務めた[1]

著作

  • 述『蚕糸要論』三盛堂、1890年。

脚注

  1. ^ a b c d 衆議院、参議院 1962, 385頁.
  2. ^ a b c d e f g h 福島県 1972, 395頁.

参考文献




英和和英テキスト翻訳>> Weblio翻訳
英語⇒日本語日本語⇒英語
  
  •  芳賀宇之吉のページへのリンク

辞書ショートカット

すべての辞書の索引

「芳賀宇之吉」の関連用語

芳賀宇之吉のお隣キーワード
検索ランキング

   

英語⇒日本語
日本語⇒英語
   



芳賀宇之吉のページの著作権
Weblio 辞書 情報提供元は 参加元一覧 にて確認できます。

   
ウィキペディアウィキペディア
All text is available under the terms of the GNU Free Documentation License.
この記事は、ウィキペディアの芳賀宇之吉 (改訂履歴)の記事を複製、再配布したものにあたり、GNU Free Documentation Licenseというライセンスの下で提供されています。 Weblio辞書に掲載されているウィキペディアの記事も、全てGNU Free Documentation Licenseの元に提供されております。

©2025 GRAS Group, Inc.RSS