色部昌長
出典: フリー百科事典『ウィキペディア(Wikipedia)』 (2024/12/26 06:46 UTC 版)
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時代 | 戦国時代 |
生誕 | 不明 |
死没 | 不明 |
別名 | 修理進 |
官位 | 遠江守 |
氏族 | 色部氏 |
父母 | 父:色部重長 |
子 | 憲長 |
色部 昌長(いろべ まさなが)は、戦国時代の武将。越後国の国人。岩船郡平林城主。
永正の乱
永正4年(1507年)、越後守護代・長尾為景が上杉定実を擁立し、越後守護・上杉房能に対し反旗を翻すと(永正の乱)、昌長ら揚北衆の多くは守護方に味方した。為景により房能が自刃に追い込まれて以降も昌長は本庄時長・竹俣清綱らと共に抗戦を続けた。
同じ揚北衆である中条藤資・築地資茂らが為景に属し色部氏らを攻撃してくると、昌長は平林城に籠城し、上杉顕定に救援を求めたが、為景に阻まれ、翌永正5年(1508年)に城は陥落、昌長は為景に降伏した。
参考文献
- 池亨 『上杉謙信の本音』吉川弘文館 2024年10月
関連項目
固有名詞の分類
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